長めの話を置いています
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ピース
 エレベーターを通り過ぎ、いつもの習慣で郵便受けを開ける。入っているのはダイレクトメールや風俗系のチラシ、たまにガスや水道の料金請求書。いつも同じようなものだったが、今日は細長い封筒が一通、混じっていた。
 紙の束を適当にコンビニ袋に入れ、少し首を傾げながらエレベーターまで戻った。エレベーターは最初から一階にいたようで、上ボタンを押すとすぐにドアが開いた。乗り込んで今度は六階を押した。しばらくするとドアが閉まり、確実に一人になった僕は、さっきの封筒を取り出した。
 封筒の宛名にはちゃんと僕の名前が書いてあった。住所は一度書いたものを訂正してあり、実家の誰かが転送してくれたらしい。封は開けられていない。表にも裏にも差出人の名前は書いていなかった。
 誰からだろうとぼんやりと考えているうちに、エレベーターが六階に着いた。箱から降り、自分の部屋に行く。いつもよりいくらか急いで歩いた自分に軽く苦笑を浮かべた。
 部屋の隅に鞄を落とし、冷蔵庫からヱビスを取り出した。テレビを点けると蟹江敬三が渋い声を出していた。とりあえず座って、ヱビスを飲みながら買ってきたツマミを開ける。橋爪功と蟹江敬三の声をBGMに、さっきの封筒もぺリペリと開けた。中には三つ折りの手紙と、写真が一枚、入っていた。
 何故だか名取裕子を想像していた。当然のことで、写真に写っていたのは名取裕子ではなかった。同世代の女性、二十代後半。真っ直ぐな笑顔をカメラに向け、恥ずかしげもなく思いっきりピースをしている。何となく見覚えがあるような気がした。「誰だろう?」と記憶を探りながら、今度は手紙を広げた。
 ――わりと写真うつりがよかったので送ってみます。
 そんな書き出しだった。下に女性の名が記してあり、考えもなく、その名前を口の中で転がしていた。舌が憶えている感じだった。呼んだことがある。いつだろう? いつ呼んでいたのだろう? 結構昔だった気がする。前の勤め先、大学、高校、中学……と記憶を巡らせていると、ふいに幼い笑みが浮かんだ。「にへへ」という勝ち誇った笑み。「ああ」と、彼女の名前と笑顔が頭の中で繋がった。
 中学のときの同級生だった。そのときはろくに口を利かなかったのだが、別々の高校に進んでから、ちょっとしたきっかけで話すようになった。少し変わった種類の知り合いだ。けれどもう十年近くも会っていない。住所は卒業アルバムなどで調べたのだろうか。年賀状のやり取りもしていなかったはずで、僕は彼女の住所も電話番号も知らない。いろいろな不可解さと、しかし懐かしさもあり、僕はもう一度写真に目を落とした。
 ピースサインで満面の笑み。それから病院のベッド。
 彼女は薄いブルーのパジャマを着ていた。やけに白い包帯が、頭と腕に巻きついていた。


 白かった。
 蛍光灯が真上にあって、わたしは自然と目を細めていた。見覚えがなかった。自分の部屋の天井とは違っていた。まるで病院の天井みたいだと思っていると、医者と看護婦がやってきて、医者はにこやかな顔で「気分はどうですか」と聞き、わたしの名前や親兄弟のことを続けて聞いた。そして問診のようなことをはじめた。わたしは素直にひとつひとつ答えていく。ところどころで看護婦がメモを取り、最後に「気分が悪くなったらすぐに呼んでくださいね」と言った。わたしは微笑んで、「大丈夫です」と応えた。
 それから一時間もしないうちに両親が来て、すぐに母が泣き出した。父の目も赤くなっていた。泣き言のような説教のような言葉を聞き、「ごめん」とわたしがぼそぼそ呟くと、「まあゆっくり休め」と父が怒ったような顔で言った。
 翌日、弟の利樹が来て、皮肉っぽく笑いながら、「こけちゃったな」と言った。そこでやっと、「ああ、わたしはこけたんだ」と実感した。
 バイクでこけた。細かな雨が降っていた。道路に捨てられていた空き缶を踏んだ。缶は半分だけ潰れていた。一日半ほど意識不明になり、親を泣かせ、弟に退屈しのぎの本を買ってこさせた。
「どうすんの?」
 利樹が丸椅子をガタガタさせながら聞いた。
「どうって?」
 聞き返しながら、買ってきてもらった本を受け取る。小野不由美の屍鬼。前から読みたかったのだけど、その長さに読むのを躊躇っていたものだ。
「バイク」
 利樹は簡潔だった。やや簡潔過ぎるところがある。
「……どうかなぁ」
 両親は二人とも、わたしがバイクに乗ることを反対している。乗りはじめてから、いや、乗りたいと言い出してからずっと反対していた。わたしはことあるごとに「危なくないから」と言い続けて、事故らないように心掛けてきたはずなのに、現実には空き缶であっさりと転んで、今は病院のベッドの上で文庫本を見つめている。表紙のほの暗い絵が、今の気分と妙にマッチして笑えてしまう。
「バイクどうだった? 知ってる?」
 気分を変えるように顔を上げると、利樹は少し表情を曇らせた。
「壊れてた」
 ほんと簡潔だね、あんたは。
「どのくらい?」
「んー……、がっかりするくらい」
 想像して、深くため息をついた。
 潮時だろうか。もう27だ。給料の大半をバイクにつぎ込む生活を変えるいい機会かもしれない。同期の子が恋とか愛とか仕事とか結婚とかクリスマスとか言っている間、わたしはずっと海岸線を走ったり、山道を走ったり、ふと蕎麦が食べたくなって長野に向かったり、途中でガス欠になりかけて焦ったりしていた。一般的なOL像からはかなり外れている。今バイクをやめたら、何かしらのイベントでまだどうにか騒げるだろうし、爪の間に入った油がなかなか落ちない苦労からも開放される。いいことずくめ、というわけにはいかないだろうけど、そう悪いこともないはずだ。
 でもなぁ、とわたしはもう一度ため息をついた。
 でも、わたしはバイクが好きで、あの振動が好きで、風景が流れていく感覚が好きで、コーナリングの感触を愛している。オイルやガスのにおいも決して嫌いじゃない。冬は死ぬほど寒いんだけど。
 そこまで考えて、ふいに両親の顔が浮かび、気持ちが重くなった。
 二人とも泣いていた。お母さんも、たぶんお父さんも。バイクはがっかりするくらいに壊れていて、そしてたぶん、わたしの命があったのはただ運が良かっただけなのだろう。またバイクに乗りたいと言ったら、二人とも呆れるだろうか。罪悪感に苛まれながら乗るバイクは、果たして楽しいだろうか……。
「あっ、そうそう」
 わたしがそんなふうに悶々と考え込んでいると、利樹が唐突に立ち上がり、自分の鞄を漁りはじめた。ベッドから離れつつ、パッケージに入った黒い物体を取り出す。
「写ルンです、買ってきたんだ」
 それには「スナップキッズ」と書いてあった。ボケなのかマジなのか、それとも使い捨てカメラは全部「写ルンです」なのかはわからないが、その微妙さ加減とふいを突かれたのとで、わたしはつい吹き出していた。笑いながら、何気に良い弟を持ったなと思った。
「とりあえず記念に一枚」
 適当に離れた利樹がカメラを構えながら言う。
「何の記念?」
 わたしはニヤニヤしながら聞き返した。
「んー、えっと」
 利樹はカメラを外し、左手で顎を撫でながら考えて、
「長き眠りから覚めたお姫様の……えと」
 ――お姫様が長き眠りから覚めた記念、とか言いたかったのかな?
「まあいいや。目覚めた記念に」
 あっさり過ぎなのもどうにかしたほうがいいと思うぞ、弟よ。
「じゃあそれで」
 わたしは苦笑しながら一応それにノッた。利樹はいつもよりお気楽そうにしている。わざとそうしているんだろう。見ているとざわざわとした感情が沸き上がってくる。その気楽さに対しての苛立ちと、嫉妬。他にも感謝とか諦めみたいなものや、それから「ごめん」とかがあったけれど、どれも言葉にはしなかった。
「まあ、目覚めて良かったよ」
 穏やかな利樹の言葉に、目覚めなかったときのことを思わされた。そう低くない確率だったのかもしれない。本当に運が良かっただけで。息をつき、腕の包帯を見下ろした。暗い表情をしていたのか、弟が「ん?」と様子を伺うように首を傾けた。
 ふっと強く息を吐いてから顔を上げ、軽く微笑んだ。とりあえず今は幸運と、お気楽な弟に甘えておこうと思った。
 利樹がもう一度カメラを構える。わたしは右手を伸ばしてピースをつくった。「いくよー」という利樹の間延びした声に合わせて、ゆっくりと笑った。


 夕暮れ時だった。僕は油で汚れた作業着を着て、バイクの前に座り込んでいた。彼女は偏差値の高さを売りにしている高校の制服を着ていて、ぽかんと口を開けたまま突っ立っている。僕は彼女を見上げていて、彼女は僕を見下ろしていた。
 見覚えがあった。たぶん中学か小学校の同級生だろう。目を逸らせば簡単に終わりそうで、何となく僕はそうしようかと思ったのだが、その前に彼女が僕の名前を呼んだ。
「うん」
 反射的に返事をしていた。しまったなぁ、と思いながらも僕は微笑んでいた。近所のおばさんじゃない女の子なんて慣れていないから、笑みはたぶんぎこちなかったはずだ。
「何……してんの?」
 彼女は何の警戒もなく、好奇心の赴くままに近寄ってくる。
「バイト」
 僕は簡潔に応えた。
「えーと、バイク屋?」
「まあ見ての通り」
「ふーん。でもなんで?」
「なんでって……」
「あっ、ごめん。なんかイメージじゃなかったから」
 彼女はしゃがんで、僕と目の高さを合わせる。顔が近い。このくらいの女子ってのは緊張しない生き物なのだろうか? 僕は目を逸らしながら言う。
「盗んだバイクで走り出そうとしたんだけど……」
「うん」
「バイクの盗み方を知らなくて、で、今教わってるところ。直結とか」
 ちょっと前に辞めたバイトの先輩のネタだった。「いつでも使っていい」と言われていたのだが、使う機会なんかほとんどないので忘れるところだった。でもこれで先輩も本望だろう。思わず「成仏してください」と祈りかけて、「違う違う」と心の中で突っ込んだ。
「へえ。……でもさ」
 明らかなネタなのに、彼女はマジにとったらしい。
 僕は「あれ?」という感じに振り向いた。たまたまうつむき加減だった。たまたま太股とむき出しの膝が視界の真ん中にきていた。スカートの中身はぎりぎり見えなかった。たまたまだった。顔が赤くなる前に視線を上げて、彼女と目を合わせた。彼女はやけに真剣な目で僕の顔を覗き込んでくる。思わず目を伏せたくなったが、そういうわけにもいかず、何とかこらえて見つめ合った。
「でもね、バイク盗むのって、犯罪なんだよ」
 やけに真剣な口調で言った。
「……知ってる」
 僕は毒気を抜かれた顔をしていたと思う。彼女は真剣な顔を崩さない。やたらと真剣だった。真剣過ぎですよお嬢さん。笑いがこみ上げてくる。ああ、これは負けたなと思い、僕は素直に吹き出した。
「そりゃ犯罪だけど」
 僕がそう言うと、彼女は「にへへ」と勝者の笑みを浮かべた。
 強引にガードをこじ開けられた僕は、彼女にバイクの話をした。店長や他のバイトの人もいたが、見て見ぬ振りをしてくれていた。彼女は好奇心の赴くままにいろいろ聞いてきて、僕もいろいろ教えたが、直結のやり方は教えなかった。
「じゃあ今度、後ろ乗せてね」
 帰り際、口元で笑いながら彼女が言った。
「道路交通法違反」
 僕はわざとらしく真剣な口調で返した。彼女は少し考え、
「んー、じゃあ……、わたしも免許取るからー、今度一緒に走ろうねー」
 店長や他のバイトの人にも聞こえるくらいの声だった。ニヤニヤと笑っていた。そして彼女は、わざとらしくぶんぶんと手を振りながら帰っていった。その後姿を眺めながら、やられたなぁ、と思った。
 振り返ると、店長と他のバイトの人がニヤニヤ笑っていた。さっきの彼女と同じようなニヤニヤ笑いだった。二連敗。彼女はたぶん面白がってまた来るだろう。思いがけずに強敵が現れたわけだけど、でもそれを楽しんでいる自分もいて、何だか妙な気分だった。
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