長めの話を置いています
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:--| スポンサー広告| トラックバック(-) コメント(-)
スペース6
 うつむいたまま顔を上げられないわたしの頭を、渡会の手がやりたいほうだいに蹂躙する。渡会は「へへへ」とからかうように嬉しそうに笑っている。
 ハードカバーを物色していたお客が、その中の一冊を手に取ってレジに近付いてくるのが見えた。けれどレジの中で何故かうつむいている店員と、その頭を撫でながら不気味に笑っている日焼けした女というどこか非現実的な光景に気後れしたのか、途中で引き返してふらふらと手短な棚に張り付いた。そのいい人そうなリアクションに少しなごんで、同時に気を遣わして申し訳ないような気分になる。横目で見ながら会釈すると、お客はすっと目をそらし、棚から文庫本を取り出して、開きながら微かに頷いた。照れてしまったらしく、耳が赤い。
 いい加減顔を上げようと深呼吸をする。髪はかなりぼさぼさになっていると思う。目の下を擦って、ようやくという感じに顔を上げると、渡会は「おーおー」とにっこりしながらまたポンポンと軽く頭を叩いて、やっとその手を引っ込めた。やはりからかうような笑みが渡会の口元にあって、わたしはそっぽを向きながら髪を整えた。
「いつ引っ越すの?」
 拗ねたような言い方になってしまい、舌打ちしたい気分になる。
「来週」
 あっさりと渡会は言う。
「そう……」
「一旦、母親の実家に行って、保証人とかのをいろいろやって、それからお引越し」
「一緒に住まないの?」
「んー、仕事あるし。実家遠いし」
「ガソリンスタンド?」
「うん。けっこう居心地いいから。……おっちゃんばっかだけど」
「ちやほやされてんだ」
「いや、そんなことないよ。ぼーっとしてると怒鳴られるし」
「それ、ぼーっとしてるほうが悪いんじゃない?」
「……ん、うん。まあ、そうなんだけど」
 言葉につまる渡会に、わたしはようやく微笑んだ。渡会も笑って少し顔を寄せる。小声で言う。
「ごめんね仕事中に」
「ん、いや」
「今から実家行かなきゃなんないから」
「え?」
「うん」
「えと、あそこ、引き払ったの?」
 渡会が一年間待っていたあの家。誰も戻ってこなかったあの静かな場所。
「んー……、まだだけど、でも、もう戻ってこないかな。今週は実家に泊まって、来週、引越し先に直接向かうから」
「……そう」
 さみしく感じる。軽く胸を締め付けられるような感覚があって、中途半端に手入れされた庭とか、庭先に置かれた原チャリとか、穏やかで静かなあの空間とか、白くて広くて淋しいリビングとか、あそこにあったいろいろなものを思い出した。
「そんで、これ」
 また涙腺がゆるみ掛けたわたしに、渡会はすっと右手を差し出した。人差し指と中指で二つ折りのメモのようなものを挟んでいる。
「ん、何?」
 受け取って開けると、真ん中辺りに見知らぬ住所と部屋番らしきものが書き殴ってあった。
「引越し先。ちゃんと引っ越したらまた電話するけどね、一応」
「…………」
「どしたの?」
 メモに目を落としたまま動かなくなったわたしの顔を、渡会は怪訝そうに覗き込む。わたしはただメモの文字を見つめていた。三回くらい目で字を追う。文字の意味がなかなか頭の中に入ってこない。
「何か……、渡会って誰にも何にも言わずに出て行くような気がしてたから」
 ほとんど無意識にわたしはそう言った。渡会は「そんなこと……」と苦笑して、
「いや、それもいいかな、ドラマみたいで」
 意地悪い笑みを浮かべながら手を伸ばしてくる。わたしは慌ててメモを遠ざけた。
「一応もらっとく。せっかくだから」
「そう?」
「そう」
 わたしは頷いて、まだ意地悪い顔をしている渡会を軽く睨み付ける。渡会はニヤニヤ笑いながら手を引っ込めた。
「じゃあ、そろそろ行ってくる」
「うん、じゃあ。……あっ、バイクで行くの?」
「うーん、一時間半くらいかなぁ」
「遠いな、おい」
「でもまあ、わりと慣れてるし」
「そう?」
「そう」
「ん。じゃあまた来週。引っ越したら電話してね」
「んー、気が向いたらね」
「いや、しろって」
「気が向いたら……うそうそ、ちゃんと連絡するって」
 顔の横で軽く手を振りながら、わりとあっさり渡会は出て行った。わたしはレジに肘をつけて、ふう、とため息をつく。お客が文庫本を開きながら居心地悪そうにしているのが見えて、そっと会釈する。お客は文庫本を棚に戻し、唇を引き結んで、「いやいや気を遣ったわけじゃありませんよ、本を選んでいるだけですよ」と言わんばかりにまた他の棚に移動した。わたしは微笑む。大変申し訳ない、と思う。
 さっきの渡会との会話を思い出す。最近の渡会のテンションじゃなかった。軽くて、やたらからかってきて、意地悪で、ニヤニヤしていた。一年前までの渡会のテンションだ。そのことに、何故かさみしいような、懐かしいような気持ちになる。
 また目が潤んだ。どうも最近、涙腺がゆるみやすくなっている気がする。それでも、書き殴った渡会のメモと、気を遣って店内をふらふらしているお客とで、少し無理に笑ってみる。ちらりとお客のほうに目を向けると、不意打ちでそのお客と目が合った。お客は一瞬ぎょっとして、それから怪訝そうな、でもどこかほっとしたような顔付きになる。
 その微妙な表情に、わたしはつい吹き出し掛けた。失礼だなと思いつつも、でも何か可笑しくて、大声で笑い出したくなった。
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。