長めの話を置いています
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 十六歳の少年Aと二十代の会社員と三十代の主婦がネットで知り合い、練炭で自殺を図った。学生の夏休みのはじめころだったから、一年ほど前のことになる。ネット心中というものが流行った時期だったように思う。今でも流行っているのかもしれないけれど、特に調べる気はない。
 わたしがそれをはじめて知ったのは、午後八時五十四分からの短いニュース番組だった。さほど興味のない、しばらくすれば忘れてしまうような情報の一つだった。けれど数日後、少年Aの名前が「渡会」であることを母から知らされた。母はご近所さんとの井戸端会議でそれを知った。少年Aは、渡会笑美の弟だった。
 一人が死んだ。二人生き残った。少年Aは、生き残った側の一人だった。何日か入院して、一旦は家に戻ったが、彼はその一週間後に失踪した。別のネットの知り合いところに身を寄せたのだとうわさで聞いたが、本当のところはわからない。本気での失踪だったらしく、彼は何の手掛かりも残さなかった。未だに行方不明だった。
 いともたやすく渡会の家族はばらけた。蝶結びにされた靴紐でもほどくかのように、簡単に。
 話し合いという名の罵り合いが何度かあったのかもしれない。一ヵ月もしないうちに、渡会の母親は実家に帰った。ほどなく父親もワーカホリックというものに飛び付き、同じように家に戻らなくなった。「父親は愛人の家から会社に通っている」といううわさが立ち、他にも昼メロのような内容のうわさも聞いたことがあった。わたしはそれらに対して嫌悪感を抱きながら無視した。渡会は今もひとり、その家にいる。
 渡会の家は一戸建てで、小さいながらも庭があった。園芸が趣味だという母親が今はいないから、「美しい庭園」ではなかったが、それなりに手入れはされている。庭先に原チャリがぽつんと置かれており、渡会が帰ってきていることがわかる。インターホンを押し、「はい」という渡会の声を聞いてから、自分の名前を告げた。
 しばらくして出てきた渡会は、昼間会ったときとは違う格好だった。帰ってからシャワーでも浴びたのだろう、ノースリーブで、肩にある日焼けの境目が目に鮮やかだった。海に行きたいと思う。日は大分傾いている。長く夏の日差しに晒されている空気が熱い。
「上がって」
 渡会が目とあごでも中に入るように促した。
「おじゃまします」
 玄関先で靴を脱いで適当にそろえた。
「どうぞ」
 渡会は頷いて、玄関のすぐ右手にある階段を上った。わたしも彼女の背中を見ながら続く。流れてくるひんやりとした空気が心地よい。冷房が漏れてきている。二階に上がって、弟の部屋の前を通り過ぎ、渡会の部屋のドアをくぐる。インターホンの音が聞こえにくくなるから、ドアは開けたままにしておく。部屋の真ん中に小さなテーブルが置いてあって、その上にクロスワードの雑誌が広げてある。渡会が向かって左に座り、わたしはその向かいに座った。いつもの場所だ。静かで、落ち着く場所だった。ドアの正面、ちょうど向かい側に窓があって、空気を巡回させるために少しだけ開けてある。薄いグリーンのレースカーテンが微かに揺れている。
「……なんか買ってくればよかった」
 座ってから気づいた。何度も来ているのにたまに忘れてしまう。
「えー、別にいいよ。気を遣わなくていいから」
 渡会は笑って許してくれるから、甘えてしまっているのだろうか。わたしとしては内心平謝りだが、実際にそうすると逆に気を遣わしてしまうので、「悪い」とだけ言って片手で謝った。
 冷やした麦茶がテーブルの端に置いてある。グラスも二つあって、その一つには麦茶が半分ほど入っていて、汗を掻いている。わたしはもう一つのグラスを取り、麦茶を注いだ。渡会とわたししかいない場合、よっぽどのことがない限りはセルフサービスだった。お互い気遣われることに慣れていない。というか、お互い苦手なようだった。
 渡会がシャーペンを片手にクロスワードに向かう。それを見て、わたしは家から持ってきた文庫本を開いた。テーブルに置き、頬杖を突く。渡会がシャーペンを指先で回す。基本的に会話はない。たまに、わたしがどうでもいいような話題を振って、どうでもいいような受け答えをしたり、渡会がクロスワードの答えを聞いて、昼間のときのように脱線したりする。ただ、それもすぐに途切れてしまうような会話だった。
 いつからこんな感じになったのか、憶えていない。けれど、彼女の弟がネット心中を起こす前は、もっと会話を楽しんでいた記憶がある。今はもう、少なくとも渡会とは、以前のようにはできない。でも、わたしはそれを悪くないと思っている。
 いつだったか、渡会と近所のおばさんが道端で立ち話をしているところに出くわしたことがあった。わたしが声を掛けると、渡会はほっとしたような顔になった。おばさんは心配顔を作っていて、わたしに気づくと早口で何かを言い募り、別れ際、渡会に「何でも頼っていいのよ」という意味合いのことを言った。渡会は素直に頷いたが、でもそれは会話を早く終わらせたかったからだろう。一人で暮らしている渡会のことを、近所のおばさんは本気で心配しているのだろうとは思ったが、こういう世話好きのおばさんが一様にうわさ好きであることも事実だ。頼ったりして、そのことを逐一近所にばら撒かれたりするのはたまらないだろう。
 おばさんが立ち去ったあと、渡会は苦笑とため息を漏らし、ぽそりと「どっかに石ころぼうしって売ってないかな」とこぼした。わたしはその一言であっさりと泣きそうになり、こらえて、「そうだね。売ってたらわたしのも買っといて」と暢気な言葉を返した。
 渡会といる空間は静かだった。静かなこの空間が好きだった。静かで、孤独で、誰もいなくて、二人してゆっくりと死んでいくようで、心地よかった。たぶん、人に言うと眉をひそめられるようなことなので、誰にも言わない。言うのが勿体ない気もした。
 時間が流れる。ページを捲る。シャーペンを滑らす。麦茶で喉を鳴らす。テーブルの上にグラスを置く。エアコンのざわついた音。渡会の鼻歌が微かに聴こえる。
 わたしは崩れた頬杖の上でいつの間にか眠っていた。目覚めて顔を上げると、正面の渡会と目が合って、彼女はゆるやかに笑った。わたしはそっと目をそらす。そらした先は窓のほうで、日は沈んでいて、暗くなり掛けの時間だった。
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