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クヅカ12
 光に目を細める。水の上に横たわり、ただゆらゆらと揺れる。腕と足は水に浸り、胸と顔だけが空気に触れている。日は変わらず空にあって、変わらず水面を照らしている。
 深く息を吸い込み、水をかいて向きを変えると、体はするりと水に沈み込んだ。足が一瞬だけ光と空気を感じ、またすぐに水の感触を得る。水は滑らかでやわらかく、それから冷たい。
 目が水の底を見つめる。砂があり、人型の砂があり、静かに横たわる人々がいる。人に吐き出された空気が歪みながら昇っていく。空気は水を揺らし、光を散らしている。
 目が彼女を捜す。体は水を滑り、また昇り、水を乱しながら動き続ける。やがて見つけた彼女は砂に横たわっていて、口を閉じ、もうすでに空気を吐くのをやめている。沈みながら近寄ると、気づいた彼女が静かに微笑んだ。その笑みの奥に微かな戸惑いがある。手を伸ばして触れた彼女の頬は冷たく、撫でた唇もやわらかではない。
 顔を寄せ、唇を重ねると、そこに砂の感触があった。微かな恐れを感じながらも唇を開け、ゆっくりと息を吹き込む。彼女は少しためらったが、息を静かに飲み込んだ。こくりと喉が動く。唇を離して微笑むと、彼女も微笑み、見つめ合う。
 彼女の目が顔を近づけるように合図する。いたずらっぽい光がある。それに従いまた顔を寄せると、彼女は唇を薄く開け、ふうっと細く息を吐いた。小さな泡が連なり、ぱらぱらとぶつかり、思わず顔を背ける。泡はゆっくりと昇っていき、やがて水面にたどり着く。視線を戻すと、彼女はくすくすと楽しそう笑った。
 彼女はときどきこんな意地悪をする。すぐに彼女の手が伸びてきて、するりと首筋をなぞり、頬を撫でる。触れてきた手は冷たく、思わずびくりとする。彼女は口元に笑みをたたえながら頬を撫で続ける。
 くすぐったさに身をよじる。楽しそうな彼女の表情に笑みをこぼす。
 彼女の指先にも砂の感触がある。小さな不安が胸に灯る。彼女がいつまで砂にならずにいるのかわからない。彼女といつまで会っていられるのかわからない。けれど今は、彼女の楽しそうな様子にただ心を躍らせる。


 鍵は開いていた。彼女は「ただいま」と声をかけ、後ろ手で玄関の戸を閉めた。けれどあるはずの返事はなく、家の中はしんと静まり返っている。彼女は首を傾げながら鍵を閉め、ちゃんと閉まっていることを確かめてから靴を脱いだ。板張りの床に足を乗せる。居間に行き、もう一度、今度はやや控えめな声で「ただいま」と告げた。やはり返事は返ってこない。居間の電気は点いておらず、壁にあるスイッチに指を添える。電気を点ける直前、それに気づいて彼女はびくりとした。
「……ああ」
 夕刻を少し過ぎた薄暗い居間、ソファの上で兄がだらしなく眠りこけていた。彼女は苦笑を浮かべ、投げ出した兄の足をしばらく眺めた。
 今日の朝、兄がバイトで遅くなると言っていたのを彼女は憶えている。ソファに一歩近づいて、本当に兄なのかどうか、その顔を覗き込む。輪郭。閉じた瞼。鼻筋。唇。やはり兄であるようで、彼女は軽く唇をかんで少し考え込む。
 実は兄は未確認な飛行物体にさらわれていて、今ここにいるのはよく似た偽者――中に小さな宇宙人が入っていてレバーで操っている――なのだという頭の悪い考えが浮かぶ。もちろんそれはただの冗談で、シフトが急に変わったとかそんなところだろうと彼女はそう判断した。
 もう一度壁のスイッチに手を伸ばし、しかし思い直してその手を引っ込める。薄暗いままの居間を横切り、奥の台所に向かう。彼女は兄をちらりと見やり、まだ目を覚ましていないことを確かめてからシンクで手を洗った。しばらく水を出しっぱなしにして手を冷やしていく。手に乱された水がシンクを叩く。ぱらぱらと雨に近い音がする。頃合いを見て手を水から離し、頬で温度を確かめる。その冷たさにひとつ頷くと、水をとめ、制服のスカートで手をぬぐい、またソファのところまで戻った。
 兄の頭の横に腰を下ろし、その髪に手を這わせる。短い髪が指の間を滑っていく。その感触に彼女は小さく微笑んだ。しばらく撫でていくと、やがて兄が薄く目を開け、ぼんやりと彼女を見つめる。何も映してなさそうな目に、少し首を傾げて、けれど彼女はさほど気にせず手を滑らせていく。
「……カ」
 ふいに兄は何かを呟く。寝言のようなぼんやりとした声。はっきりとは聞き取れなかったそれは、誰かの名前なのだと彼女は思う。兄はその人の夢でも見ているのだろう。幸せな夢だといいと仄かに願いながら、彼女は兄の頭を撫で続け、兄はまた静かに眼を瞑った。
 冷たい手は次第に温くなり、ゆっくりとその動きをとめる。彼女は自分の手を見つめる。ふと何かを思い出しかけて、けれど、意識する前にそれは消える。あごに手をやり、記憶の中からそれを手繰り寄せようとするけれど、しばらくもしないうちに、彼女の口からはあくびが漏れた。
 薄暗い部屋は眠気を誘う。ソファに体を預けてまたあくびをした彼女は、一度浮かんだそれを捕まえることなく、兄と同じように静かな寝息を立てはじめた。
 一時間ほどして母親が帰ってくる。母親はすぐに居間の明かりを点ける。それから居間の中を見渡し、ソファで眠りこける兄妹を見つけてつい苦笑する。兄妹に目を覚ます気配はなく、子供に甘い親は、もう少し眠らせてやろうと寝室から持ってきたタオルケットをかけてやり、また明かりを消した。
 薄暗い部屋の中、タオルケットに包まりながら、彼女は少し不思議な夢を見る。
 砂と水の夢。やけに涼しげで、幸せな夢。彼女は楽しそうに、くすぐったそうに笑う。


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