長めの話を置いています
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クヅカ11
 電話が鳴った。テレビを見ていた兄が、ちらりと電話に目をやる。けれどあたしのほうが電話に近い。
「はい、緒方です」
「あっ、えと、鈴木と言いますけど、アヤコさんは――」
「ああ、うん。ちょっと待って」
 保留を押し、オルゴールが鳴るのを確かめてから受話器を置いた。兄は特に興味を示さず、またすぐにテレビに戻った。あたしは居間から出て、二階に上がる。歩きながら階段横の棚に置いてある子機をつかみ、自分の部屋に入る。ちゃんとドアを閉めてから子機の通話ボタンを押した。
「悪い。お待たせ」
「アヤコ?」
 子機からミサコの声が聞こえてくる。あたしはベッドに座る。
「ん、今、自分の部屋だから大丈夫」
「うん。……やっぱなんか、自分の名前言いそうになっちゃうね」
「そう? あー、あたしもそうなるかな」
 電話をかけてくるとき、ミサコは偽名を使う。ミサコの苗字、「玖塚」というのは珍しい名前だった。「玖塚美沙子」は先月のはじめに亡くなっている。
「うん」
「ん」
「……学校どう?」
 九月七日。一週間経って、ようやく夏休み気分が抜けた感じだった。
「んー、……カズミが居心地悪そうかな」
「ん……」
「あんたがカズミの横にいないのがなんかね、変な感じ」
 ミサコの右隣がカズミのいつものポジションだった。あたしのポジションは、ミサコの左隣か、二人の少し後ろ。
「そっか……。まあ、すぐに慣れるよ」
 慣れない。
「慣れないよ」
「ん……、それもちょっと嬉しくはあるけど」
 少し笑う。
「ひどいねえ」
「ん、や、ごめん。……えっと、もう宿題終わった?」
「あー、ちゃんとカズミのを写した」
「たまには自分でやんなよ」
 あはは、と笑い声。
「それ、あんたに言われたくないな」
 笑い合って、それから自然と黙り込んだ。しばらくの間、ただ沈黙を聞く。あたしはどこかで予感していたのだと思う。やがてミサコがかすれた声で言う。
「あのね……」
 また黙り込む。
「何?」
 あたしは促す。
「もう、そろそろね」
「うん」
「……終わろうかなって、思う」
「……そう」
「うん」
「そっか」
「うん」
 ミサコが死者に戻る。一度死んだ人間が生き返り、けれどそのまま生きていくことはできない。胸の奥がひやりとする。怖くなる。いまさら。
「カズミには言ったの?」
「うん、さっき電話で」
「……ん」
「泣かれちゃった」
「うん、まあ。……カズミは何て?」
「いやだって」
「あー、うん」
「それから、会いたいって」
「……会えないの?」
「んー……、なんか揺らいじゃいそうで。それに、においとか、けっこうひどいから。……薬の」
「あたしも会いたいけど」
「うん」
「会いたい」
「……あの、ね」
「うん?」
「えと……、綺麗な私を憶えておいてほしい……とかは駄目?」
 一瞬だけ息をとめる。電話では姿は見えない。においもわからない。ミサコと会ったのは夏休み中のこと。九日前。そのときでも薬のにおいが漂っていた。防腐剤のようなにおい。
「……駄目じゃないけど。……わからなくは、ないけど」
 わかりたくない。そう言いかけて、あたしだったら、と考える。いつの間にか握り締めていた手をそっと開く。ベッドのシーツに汗をこすりつける。
「……たぶん、夏の、夏休みの間だけのものだったんだと思うの。今は……、無理矢理生きてる感じで――」
「ごめん」
 子機を耳からはずして、ふうと息を吐く。電話を戻すと、「ごめんね」と呟く声が聞こえた。あんたがあやまんな、と口の動きだけで言う。あんたがあやまる必要はない。もう一度子機をはずし、深呼吸をしてから、なるべく軽い声を出した。
「それにしてもさ、『綺麗な私』なんて恥ずかしくない?」
「ん……、今恥ずかしいです」
 照れくさそうに答えたミサコをからかい、それからテレビの話をした。ミサコは今見ているドラマの続きが見られないのが少し残念だと言った。けれど、そんなに執着はしてないようだった。好きなタレントの話をして、好きなタイプの男子の話をして、夏休みに遊んだ少年と少女のことを話した。
「カズミがロリで、アヤコがショタだったなんてね」
「ん? ショタって?」
「ロリコンの男の子版。小さな男の子が好き」
「……て言うか、それはあんただろう」
「え? なんで?」
「ほっぺにちゅーされたって言ってたよ」
「えっ?」
「まったく、いやらしい子だわ」
 お嬢様風に言った。
「言っちゃ駄目って言ったのに……」
 口を尖らすミサコの姿が目に浮かんだ。
 カズミの話。同じクラスの子の話。担任の先生の話。夏休み前と大して変わらない、学校の話。日常。ミサコが失ったもの。ミサコは相槌を打ちながら、失ったもののことを静かに聞いた。あたしが言葉に詰まると先を促した。穏やかに、楽しそうに。
「あー、釣りしたいなー」
 あたしがひと通り話し終えると、ミサコは自分の欲望を口にした。
「ほんとおっさんくさいな、あんた」
「釣りいいよ。何言ってんの。そんなんじゃ松方弘樹みたいになれないよ」
「なりたくないって」
「そんな、ひどい……。あやまれ! 弘樹さんにあやまれ!」
「ツレかよ、松方弘樹は」
「それはいいとして」
 振っておいて流された。
「ええんかい。……えっと、何?」
「アヤコ、釣りしない?」
「え?」
「釣りしたらいいよ。竿とかあげるから」
「あー、うん。……んー、もらっとく。するかどうかわからないけど。一応」
「もらっといて。……カズミにもね。言おうとしたら泣かれちゃって」
「わかった。言っとく」
「うん」
「オッケ」
 ふう、と息をつく音が聞こえた。ミサコの息。終わりだな、と、あたしの冷静な部分が告げる。ミサコは今、自分のことを終わらせた。自然と黙り込む。沈黙が少し長く続いて、耳鳴りがして、消える。
「あのね……」
 ミサコが呟いて、また黙る。
「聞くよ」
 あたしはそれだけ言って、ミサコを待った。しばらくして、またミサコの声を聞く。
「……カズミもだけど、親も、両親ともに泣かしちゃって、何だか、何ていうか。……うまく言えないかなぁ」
「いいよ、聞くから」
「ん、ありがと。ごめん。……えっと、たぶんね、私は、何もしないっていうか、何にもなく生きていくほうだと思うんだ」
「うん?」
「このまま毎日だらだら過ごして、高校生になって、卒業して、就職して、たぶん地元で、もしかしたら結婚して、このまま何にもなく生きていくんだろうなって。……でもそれで、そのあいまに釣りができたらいいかなって、そんなね」
「そっか」
「うん。向上心とか私ないから、ずっとこのままここで暮らしていければいいかなって」
「そう、……そっか」
「で、あの……、死んだのも、それが早まっただけで、何ていうか」
「……うん」
「たぶん、私はずっとこのまま何にもなく、ほんとに何にもなく生きていったんだと思う。だから、そんな泣かれると、困るっていうか、戸惑うっていうか」
「うん」
「だから、そんなに悲しまなくていいって……思った」
「……うん。でも」
「そういうことじゃないってのも、わかる。私も誰かが死んだら悲しいし」
「そっか」
「すごくいやだし……、怖い」
「……そうだよなぁ」
「うん」
「ん」
 またしばらく沈黙を聞く。今度のそれはそう長くなく、すぐにミサコが「じゃあ」と言った。
「……うん、じゃあ」
「またね」
 泣きそうになる。一度強く奥歯をかみ締め、声が震えるのを抑えた。
「ん、また」
「えーと、七十年後かな」
「え? ……ああ、八十四歳?」
「そのくらいじゃなかった? 日本人の平均寿命って」
「七十四くらいじゃなかったっけ」
「んー、そう?」
「いや、はっきりとは覚えてないけど」
「んー、じゃあ間取って、七十九?」
「なんだそれ。……長いな」
「長いよ。そりゃ」
「まったく」
 あたしはため息をつきながら言った。あはは、とミサコは笑う。
「……うん。じゃあ、またね」
「ん、また」
「それじゃあ」
「ん、それじゃ」
 あっさりと電話は切れる。ふう、と息をついて、虚空を見つめる。何もない空間。あたしは子機を握り締める。
「……六十五年後」
 ミサコとまた会うまでの時間。あたしにとっては、永遠と呼んでもいいくらいの時間。目を閉じるとミサコの顔が浮かび、涙の気配を感じて、すぐに開けた。天井を眺める。人の顔のような木目。目でその輪郭をなぞっていく。
 ミサコは「釣りしたらいいよ」と言った。「竿とかあげるから」と。言われた通りに、あたしは釣りをするのだろう。そう遠くない未来、竿を投げながら玖塚美沙子を思い出し、悲しみに似た気持ちに浸るのだろう。そうやって自分を慰める。たぶん、カズミと一緒に。
 あたしは子機を投げ出し、ベッドにうつぶせになった。電話していたときには気づかなかったテレビの微かな音が聞こえてくる。下には兄がいる。何でもない日常。音。叫びたい衝動に駆られる。喉の奥で鳴く。深く息をついてから枕を引き寄せ、そこに顔を埋めた。テレビの音が聞こえてくる。ミサコの声はもう聞こえない。ミサコは「そんなに悲しまなくていい」と言った。ふいに喉が震える。漏れる嗚咽を枕で殺した。


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