長めの話を置いています
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クヅカ5
 十時を少し過ぎていた。部屋は暗闇で、目を凝らしてようやく物の輪郭が見えてくる。網戸の入った窓。二組の敷き布団とタオルケット。片方の布団にはちびっこい女の子が眠っていて、昨日の夜はその隣に彼女の兄もいたのだけれど、今この部屋には彼女しかいない。
 スースーと彼女は静かな寝息を立てている。風に乗って微かな虫の音が紛れ込んできている。彼女は無意識にそれを聞き、自分の眠りを深くする。彼女にかけられていたはずのタオルケットが、その腕の中で乱暴に丸められ、本来の役割を果たせずにいる。ときどき彼女は「んー」と暑そうに唸り、タオルケットを引き連れて何度か寝返りを打っているが、窓から入ってくる網戸越しの風がそれなりに涼しく、多少の蒸し暑さを感じながらも安らかな眠りというものを得ているように見えた。
 庭先では真っ白な猫が低い姿勢を取っている。彼はシロと呼ばれていた。そろりと地面に四本の足を置き、二メートルほど先の獲物を狙っている。獲物であるヤモリはシロから見て横を向いており、まだ自分を狙うものの存在に気づいていないようだった。少なくともシロ自身はそう感じているだろう。シロはじわじわ距離を詰め、同時に気持ちを高めている。密やかなその一歩は二十センチほどだろうか。虫の音と風がよい具合にシロの気配を消している。慎重に五歩進んだところで、シロはひと呼吸置き、その場で体重移動させ、タッと踏み込むと同時に獲物に飛びかかった。
 その存在に気づいていなかったはずのヤモリは、しかし待ち構えていたかのように素早く移動し、シロの爪から数センチの差で逃れた。ザクリとシロの爪が地面だけを捕らえる。シロはさらに追撃をかけたが、それもまたヤモリの動きのほうが一瞬早かった。
 ニャウ! とシロの短い鳴き声が響いた。悔しそうな声に聞こえたのは気のせいだろうか。そんな静かで激しい攻防に気圧されるように、虫の音はいつの間にかやんでいた。
 部屋でも寝息の音が途切れていた。「うーん」という唸り声、その声を発した彼女は寝返りを打ち、うつ伏せになった。うっすらと目を開けて、しかしすぐに閉じる。もそもそと膝を曲げ、うずくまるような格好でしばらくとまった。また虫の音が聞こえてくる。彼女はタオルケットを抱きしめている。やがてそのタオルケットに向かってまた「うー」と唸ったあと、体を起こし、のろのろと立ち上がった。
「……おしっこ」
 誰のともなく呟いて部屋の入り口のほうに進む。その足取りはなかなかに不確かで、もし彼女の兄が隣に眠っていたなら、確実にその足や腹を踏みつけていただろう。彼女はふすまを開けようとして手を伸ばし、しかし距離感を間違えて二回空振った。
 用を足したあとのすすいだ手を腰のところでごしごし拭いた。ふわあ、と大きなあくびをもらし、それから部屋に戻ろうとして、彼女はふと居間の電気が点いていることに気づいた。明かりに引き寄せられる羽虫のように、彼女はそこに向かった。
 居間には彼女の祖父がいて、テーブルの前で懐中電灯を弄っていた。懐中電灯を点け、消し、放り投げ、自分で受け取る。
「おにいちゃんは?」
 彼女がそう声をかけると、祖父は驚いて動きを止めた。自分の孫娘をその目で確かめると、「驚いたわ」と、ほっと息をつきながら笑った。
「うん」
 彼女も小さく笑う。
「タカヒコは……、まあちょっとな。心配せんと寝とき。疲れたやろ」
 彼女は少し迷ったあと、躊躇いがちに「うん」と頷いた。兄のことが気になる様子だったが、それよりも眠気のほうが勝ったらしく、祖父に半分眠った声で「おやすみ」と告げると、ふらふらとした足取りでまた部屋に戻った。
 中に入りふすまを閉めると部屋は暗闇になる。彼女は昔から夜目が利くほうで、そのせいか暗闇を恐れなかった。二組の敷き布団とタオルケット。片方のタオルケットは乱れ、布団の端に追いやられている。彼女は全く迷わずに乱れていないほうのタオルケットに潜り込んだ。まだ人の体温を吸っていない布団が心地よいらしく、彼女は薄く微笑むと、すぐに安らかな寝息を立てはじめた。
 深い眠りに入る前に少し不思議な夢を見る。それは水と砂の、やけに涼しげな夢だった。
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